AIに道義的な責任が負えるのか

こういう議論が必要だという記事を見ると、悲しい気持ちになってしまう。

 

まず前提として、AIが人間よりも精度の高いパフォーマンスを出すものとする。

例えば、画像診断、文字認識、自動運転等、、、

 

一例にあげた、自動運転の場合、自動なのは人間よりも事故が起きる可能性が

低くなって初めて自動運転のアシストになるといえる。

 

だが当初はAIに対する信頼性等の問題もあり、必ず人間が運転し、AIはアシストや

サポートに限定される。最終責任は人間がとる、というような法改正がなされ、実社会に導入されていくであろう。

 

人間が責任を取るのであれば、AIの性能が人間を少し上回る程度でも十分有用だからだ。

 

だが、その後AIはどんどん精度をあげていく。人間の能力は2倍にならないが、AIは

10倍等簡単に実現するだろう。

 

そうなるとどうなるかというと、

 

・AIに運転させておけば事故しなかった。

・AIに運転させた方が精度が高いし人間は触らない方がいいんじゃないか?

 

このように社会が認知し始め、人間がやるのは趣味の範囲であり、実際はAIがやるのが

主流になってくる。

 

この後にくるのが、完全自動運転となる。

 

社会はすでにAIに運転させたほうが事故が圧倒的に少ないことをみんな知っていて

それで人間に運転をさせる方が、犯罪であるという方向に確実になる。

 

そして、完全自動運転が導入されていく。完全自動運転の際に、AIによる事故は誰のせいなのかというのは、当然、状況により変わる。

 

・AIが回避できない事故(追突等)

・相手の車、人間等が当たりに来た(回避行動等も含む)

 

上記のような事故は、運転者でもAIの責任でもないが、おそらく、今までの交通ルールに乗っ取って、保険が支払われるようになるだろう。

 

・AIが誤動作で事故を起こした。

 

これは当然自動車メーカーの責任になるだろう。ただし自動車メーカーがすべての責任を取るのは、内容によっては不可能であるため、再保険のような仕組みが使われると思われる。ここで起きる問題は、AIが誤動作で事故を起こしたか誰が証明するかであろう。そのため運転者の操作記録、AIの行動記録もすべて記録され保存されるようになるだろう。

 

・AIの誤動作ではないが、事故となった。車が突然故障した。例えばパンクした。ブレーキが利かなくなった等。

 

これも今までの保険のように処理されるであろう。

 

AIはあくまで運転者の生存を優先して行動すべきであり、歩行者が何人いようが

緊急回避行動の際に、歩行者と運転者を比較してどちらの犠牲がより望ましいかを

判断させてはいけない。人間でも緊急避難時に正しい選択はできないのだから。

 

ただし、大事故を避けるために、AIは法定速度をきっちり守ってゆっくり走るのは

間違いなく、社会はそれによる大きな安全というメリットを享受できる。

 

事例にあげたように、AIに道義的な責任というのを負わせる状況は一つも発生しない。

 

社会は、AIによる事故の低下による死傷者の減少というメリットが大きいからそれを

選択し、AIを使わないという選択は逆に犯罪行為とされるようになっていく。

 

最終的に、AIは銃や包丁等と同じ扱いになるのである。包丁は人を刺して殺せるが

だからといって禁止したら料理が大変になる。料理をらくにするというメリットのため

に包丁で人を殺せるというデメリットには目をつぶっているのだ。

 

どうにもならない問題は、社会が背負い、個人の責務の範疇であれば、今まで通り運転者が責任を負う。

 

そうやって人類は道具をうまく使ってきたのである。